駅伝発祥のきっかけとなった「東海道五十三次」をより深く探求しよう

よくないニュースが続いている「いだてん」ですが・・・

視聴率が上がらない事ばかりがニュースにされ、かなり気の毒な気がする大河ドラマ「いだてん」。

ただ実際見ている方の評判は決して低くなく、またマラソンをやっている人間からすれば、感情移入できる部分もかなり多いドラマだと思っています。

そんな大河ドラマ「いだてん」を先週日曜日に見逃したため、今日再放送を見ていました。

すると決して見落とすことのできない、今の私にとってタイムリーすぎるシーンがありました。

駅伝の発症となった大会「東海道五十三次駅伝競走」

ベルリンオリンピックでの金メダルを目指して練習に励んでいた金栗四三氏でしたが、そのオリンピックは戦争の影響で中止。

失意にあった金栗氏がオリンピックに代わる新たな目標として見出したのが、大阪から東京まで約514キロを、1人でなく数名のランナーでつないで走る「東海道五十三次駅伝競走」の開催でした。

当時一人で走るのが当たり前であったマラソンを、数名でつないで走る事がかなり画期的だったこの大会は、駅伝発祥の大会と言われています。

ちなみに「駅伝」という言葉の由来は、この大会のコースとなる「東海道」には53の宿場・駅があり、その駅を伝って走るから・・・という展開にドラマではなっていました。

実は現在東海道五十三次を研究中でした

現在ホームページをリフォーム中の「はまぐりプラザ」さんにて、なぜかウオーキングコースづくりの依頼をいただいた私。

このコースづくりに向けて、はまぐりプラザさん付近の桑名の名所を巡っていたのですが、その一つに「七里の渡し」がありました。

この七里の渡しは、名古屋の熱田から船を渡って、三重県の東海道入り口となった宿場町「桑名」の史跡のひとつなのですが、当時東海道に海を渡るルートがある事を知らなかった私。

急に東海道五十三次に興味がわき、インターネットや書籍などでいろいろ調べていました。

すると東海道五十三次の宿場には私の住む「四日市」はもちろんの事、ここ数年出場し続けている土山マラソンの開催される滋賀県「土山」も宿場町の一つ。

そして先日出場したばかりの「掛川マラソン」の開催される静岡県「掛川」も宿場町。

ほかにも宿場町となっていた地を見ていると、私がマラソンを通じて訪れたところが結構あり、なんともご縁を感じていました。

そしてこの東海道にちなんだ何かをプロジェクトとして仕掛けられないか?・・・そんな事を考え、いろいろ東海道について研究していた矢先に、今回のいだてんのドラマ展開。

何とも言えないご縁を感じずにはいられないまま、ドラマに見入ってしまう事となりました。

東海道五十三次をもっと研究していこう

実は私の今住む自宅は、旧東海道がすぐ近くを通っていて、桑名⇔四日市⇔鈴鹿と東海道をたどっていくには絶好の環境にあります。

またほかの宿場町も、マラソントレーニングに適した地がかなり多い気がしており、東海道五十三次をたどっていくだけで、結構な数のマラソンコースを発掘できる気がしています。

さらに三重県ウオーキング協会の一員として、今後発掘していく三重県各地のウオーキングコースづくりにも、この東海道をたどっていく事がかなり有効な気がしてきています。

そんなわけで私が洞爺湖マラソンを終えてから、一気に進めていこうと思っている各プロジェクトを遂行していくうえで、大きなカギを握りそうな気がする東海道五十三次。

今後はさらにランニングやウォーキングとつなげていきながら、より一層東海道五十三次を突き詰めていこうと思っています。

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