SWYの母体クラブ「SWAC」の全国展開に向けたプロジェクトがスタート

何事をはじめるにも、やめるにしても、何らかのきっかけがあります。

何かと数奇な人生を歩む私の場合、いつもしかるべくタイミングで人生を大きく変える出来事があり、それを大きなきっかけとして何かがはじまり、何かが終わるという事がよくあります。

そしてここ最近何かと失敗が多かった、今のタイミングこそ何か自分自身、大きく変わっていかなければならない。

そう思っていた矢先に、急遽ある方に呼び出され、昨日は東京まで行ってきました。

セカンドウィンド四日市を立ち上げるきっかけとなった8年前のオファー

セカンドウィンド四日市を立ち上げたのは2011年11月ですが、そのきっかけとなったのはちょうどその1年前の今頃。

当時ランニング指導者になるための研修に行ったりと、いろいろ勉強こそしていたものの、指導者になってもどのようにアクションを起こしていけばいいのだろう?

そんな事を考えはじめた時に、いきなり連絡をいただいたのが東京に拠点を持ち、当時日本でも屈指の規模を持つと言われていた市民ランニングクラブ「セカンドウィンドAC(通称:SWAC)」

当時のSWACは世界選手権女子マラソンに日本代表を2人も輩出するなど、飛ぶ鳥を落とす勢いのクラブで、連絡いただいた内容はクラブ運営ノウハウを全国に広げていきたいから四日市でクラブを立ち上げないかというものでした。

当時指導経験ゼロだった私に、なぜそんな連絡が入ったのか、いろいろな理由があったのですが、どれもこれも大した理由ではなく、今考えても何とも奇妙なオファーでした。

ただ当時の私には、渡りに船としか言いようのないオファーであったことは間違いなく、その後は流れに乗る形で、1年後にはセカンドウィンド四日市を立ち上げる事となりました。

一度は頓挫したSWAC全国展開計画ですが・・・

・・・と当時は飛ぶ鳥を落とす勢いだったSWACですが、その後はかなり紆余屈折があったようで、全国展開計画は完全に頓挫。

そしてここ数年は限りなくSWACと音信不通に近い状態となっていたのですが、9月も終盤に近づいた頃、今まで一度もお会いしたことすらなかったSWACの社長が四日市に急遽来る事となり、はじめての面談の場を持ちました。

そして再び全国にSWAC事業を広げていきたいとの、強い意向を聞かせていただきました。

ただ当時と違い今のSWACには看板となるトップ選手もほぼいらっしゃらず・・・

そしてSWAC設立者で、多くのトップランナーを育て上げてきた川越学監督もすでにいらっしゃらずと、全国に展開していくにはかなり無理があるように思えました。

ただ全国のランナーとつながり、私そしてセカンドウィンド四日市メンバーの皆さんの視野を大きく広げるきっかけにもなり得る、SWAC全国展開の話。

無理があるからの一言で片付けてしまうには、あまりにも惜しい魅力ある話のように思えました。

そこで8年前とは全く異なる形での、ある全国展開プロジェクト案をSWAC社長に提案したところ、思いの外気に入っていただき、先月10月には詳細提案のためSWAC東京本社に行っていました。

そして提案は意外にも全面的に採用いただき、より具体的な話を詰めるべく、今週はじめに急遽東京に呼び出され、昨日は再びSWAC東京本社に行っていました。

SWAC全国展開に向けあるプロジェクトをスタート

そして昨日東京本社での打ち合わせを終え、今後SWACは私が提案したあるプロジェクトとともに、再び全国展開を目指していく事となりました。

そのプロジェクト、自分で提案しておきながらなんですが、決して簡単に進んでいくものでは絶対にない、かなり困難な道が予想されるものです。

特に中途半端な取り組みの数々で、ここ最近痛い目にあい続けたばかりの私。

今度のプロジェクトこそは覚悟を決めて、集中して、本気で取り組んでいく必要がある事を痛感しています。

そのプロジェクトを成功させるためには、私自身、もっと本気でマラソンに向き合っていく必要があります。

そしてインターネットを活用した「情報発信スキル」を、劇的に高めていく必要があると思っています。

そう考えると、今はマラソンとWEB情報発信以外の活動は、思い切って削ってしまう決断も必要。

・・・という事で今度こそは覚悟を決めて、プロジェクト成功に向けて、やるべき事をひたすら絞り込んで行こうと思っています。

おすすめの記事