延喜式内社を走り巡りつくして三重のレアスポットを発掘しよう

明治の初期まで、三重県は「伊勢国」「志摩国」「伊賀国」そして「紀伊国(の一部)」の4つの「国」に分かれていました。

そしてそれぞれの国は、「郡」という行政区画に分かれていて、三重県はこんな感じに区画が分かれていました。

普段はあまり意識することのない国、そして郡といった旧行政区画ですが、いざ延喜式内社を走って巡るとなると、この国・群の区分に意識が行かざるを得なくなります。

平安時代から続く古社を走って巡ろう

先日の記事で高山ウルトラマラソンに向けての走り込み、およびダイエットのために、三重県内の延喜式内社を全て走って巡る挑戦を再開しようという事を書きました。

ちょっと難しい話になってしまいますが、平安時代中期に国が制定した「延喜式(養老律令という法律の施行細則)」の「神名帳(じんみょうちょう)」という帳簿には、国が特に手厚く支援した神社2,861社(祭神の総数は3,132座)の名前が登録されていました。

この神名帳に名前が登録されている神社の事を「延喜式内社(えんぎしきないしゃ)」もしくは「式内社(しきないしゃ)」と呼び、三重県にはその式内社が伊勢国に232社・253座、志摩国に2社・3座、伊賀国に25社・25座、そして紀伊国には28社・31座(ただし三重県内はゼロ)と、合計259社・281座の式内社がありました。

今回私が計画しているのは、この三重年内にある259社の式内社を、全部走って巡ろうというものになっています。

1000年以上前からある神社という事で・・・

延喜式内社巡りランで一番厄介なのは、延喜式自体が平安中期の927年と1100年近く前に編纂されたという事で、名前が登録されているのがとんでもなく古い神社であるという事。

そのため実際当時にそれらの延喜式内社がどの場所にあったか不明な場合が多く、今延喜式内社と言われている神社は、おそらくここがそうだったであろうといった感じの意味の「比定社(ひていしゃ)」もしくは「論社(ろんしゃ)」と呼ばれています。

1100年前からあった神社となると、実際にどこにあったのかさっぱりわからない・・・といった式内社も珍しくないようで、一つの式内社に対して2社、3社、多いところだと6社以上の比定社がある場合もあったりします。

そんな理由より三重県内の延喜式内社の数は259社という事で259箇所の神社を巡ればそれで終わりというわけでなく、全ての比定社を巡るとなると、おそらく300を軽く超える数の神社を巡ることになると思われます。

しかもこれらの比定社の中には、山の中に一つぽつんとある・・・といった感じの神社もあったりと、冒険の匂いがプンプンしてくるのがこの延喜式内社巡りランだったりします。

未知の地発掘こそ延喜式内社巡りの醍醐味

300を超える神社をめぐるとなると、お伊勢さん125社巡りラン以上に計画をしっかり立てる必要があるのですが、延喜式神名帳では「伊勢 朝明 二十四」といった感じに、国・郡ごとに神社の名前が整理されています。

それなら郡ごとに比定社を走り巡って行けば、それぞれの旧郡の歴史や特色を走りながら紐解いて行けるようで面白くなるのでは?・・・そんな妄想のようなものも芽生えてきました。

そんなわけで延喜式内社巡りは、旧郡単位で実施しようと思っているわけですが、郡によってはかなり広大なエリアに神社が分布されている場合もあったりと、先行きが全く見えてこなかったりします。

そんな先行きの見えなさが醍醐味!・・・という話もあるのですが、さすがにお伊勢さん125社巡りのようにセカンドウィンド四日市メンバーをこのようなマニアックな挑戦に巻き込むわけにはいかないという事で、延喜式内社巡りは私単独で実施予定。

全ての式内社を巡りつくすというよりは、三重県内の地域穴場スポット発掘にこそ目的があると延喜式内社巡りランは、旧桑名郡からスタート予定。

三重県の北から徐々に南下していく形で、旧紀伊国以外の三重県内の式内社をのんびり楽しく巡っていく事で、今は知らない三重県の魅力を発掘していきたいものです!!

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