富山マラソンは私のゴールタイムはともかく最高の大会でした

11月7日(日)、富山県高岡市役所をスタート地点に、富山マラソンが開催されました。

コロナ禍の中にあって、私にとっては2020年2月の紀州口熊野マラソン以来のマラソンレース。

ここ3ヶ月ほどの間に、21kmまでの距離しか練習していないなど、明らかな走り込み不足であるにもかかわらず、自分は本番だけは強いからなどと、どこか好記録を期待してしまっていたところがありました。

ただフルマラソンは、もちろんそんなに甘いものではありませんでした。

レースペースはキロ4分半ペースを想定

今回の富山マラソンの私のスタートブロックはDブロック、しかもスタート地点に行くのが遅くなってしまったため、Dブロックの最後列からのスタートとなりました。

おかげで前に並ぶランナーが多くいらっしゃったため、スタートしてからしばらくの間、ペースを上げる事は全くできず、最初の1kmの通過タイムは5分20秒。

その後は徐々にランナーが散らばりはじめ、ペースを上げて走りやすくなり、次の1kmをキロ4分ほどで通過しました。

ただ今日は思いのほか暑くなり、汗が早くも大量に吹き出してしまっており、このままのペースで行ったら早々に失速だな・・・と思い始めていたところ、3時間15分のペースランナーを見つけたため、このペースランナーの方に前半はついて走ることに決めました。

ペースランナーの方は、本当に素晴らしく安定したペースメークをしてくださっていて、最初の10kmを22分45秒と、おおよそキロ4分半ペースで通過。

今回のレースペースをキロ4分半ペースで3時間一桁台を狙おうと考えていた私にとって、理想的な10キロの入りとなりました。

25キロ過ぎまでは余裕だと思っていたのですが・・・

その後も順調にペースを刻み続け、15キロ、20キロと順調にキロ4分半ペースを刻み、富山マラソン最大の難所である20kmすぎの新湊大橋のきつい登り坂も難なく走りきり、ハーフ地点を過ぎた段階でもかなりの余裕を持って走れていました。

これだけ余裕があるなら、30km過ぎあたりから、少しペースを上げていこうか・・・と調子に乗ったことすら考えていました。

・・・が異変が起こり始めたのは、28km過ぎあたりから。

ペースランナーの方についていくのがどんどん厳しくなってきて、徐々に徐々に距離を離されていってしまいました。

呼吸はこの段階でもかなり余裕があったのですが、どうやら走り込み不足の影響もあってか、28km地点のあたりで脚がへたってしまったようで、どれだけ踏ん張ってもペースは全く上がりませんでした。

それでも32キロ地点あたりまでは、なんとかペースランナーの方の背中の見える位置にはいたのですが、32キロを過ぎると脚が完全にガクガクの状態になってしまい、33キロ過ぎからはハムストリングやふくらはぎが次々と攣りはじめ、万事休すとなってしまいました。

自分の結果はともかく富山マラソンは本当に素晴らしく

その後はエイドでひたすら休んでは、ごまかしごまかしで次のエイドまで走っては、またひたすら休むの繰り返し。

ペースを上げようにも、すぐに脚が攣ってしまうため、恐る恐る走り続けるしかないという状況でした。

それでもマラソンでは前に進んでいれば、ゴールまで着実に距離は縮まっていくという事で、悪戦苦闘し続けた10kmをなんとか乗り越えて42.195kmを無事完走。

実はハーフ地点あたりで私の腕時計のストップウォッチが止まっており、ペースランナーの方と離れてから、全く自分のペースがわからないまま走っていたのですが、ゴール地点の時計を見ると3時間22分46秒。

またまた不甲斐ないレースをやらかしてしまいました・・・

そんなわけでゴールタイム自体は決して納得いくものでなかったですが、富山マラソン自体はペースランナーのペースメーキング含め、運営面全てにおいて素晴らしく、コロナ対策などを取ってみても感心させられることばかりでした。

コロナ禍で開催すらが危ぶまれた中で、これだけ万全の準備を整えられた大会関係者の皆さんには感謝の言葉しかなく、地元の皆様の声援も素晴らしく、レース後半、大失速するまでは走っていて楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。

おかげで久しぶりに参加させていただいたレースで、マラソンレースの楽しさ、そして厳しさを再認識できた事。

おかげで練習へのモチベーションが異常なほど高まったこと。

この事が今回のレースの何よりの収穫となりました。

おすすめの記事