
あなたは神を信じますか?
私が子供の頃の大人気バラエティ「おれたちひょうきん族」の影響で、こんな言葉が流行った時期がありました。
当時は神の存在など全く信じておらず、今も神社好きと言っているわりには、それほど神様の存在を信じているわけでもなかった私。
ただ今から書かせていただく、ちょっとマニアックな神話の世界のつながりを見るにつれ、神様の存在を信じないわけにもいかなくなってきました。
熊野の地に祀られる日本の生みの親「イザナミノミコト」
先週末の土曜日、三重県の最南端に近い熊野市の観光を行いました。
その観光の際に訪れた先に、日本最古の神社と言われる「花の窟(はなのいわや)」。
そして花の窟にゆかりが深いと言われる産田(うぶた)神社がありました。
この2つの神社に共通するのは「イザナミノミコト」と「カグツチノミコト」という神様が祀られている事。
古事記や日本書紀の神話によると、日本の生みの親と言われるイザナミノミコトは、火の神様であるカグツチノミコトを産んだ際にやけどして亡くなったとされているのですが、産田神社はそのイザナミノミコトが亡くなったとされる場所。
そして花の窟はイザナミノミコトのお墓と言われており、一対的な意味合いがあるそうです。
そんな情報を知った私が、翌日単なる思いつきで向かったのが熊野三山(熊野速玉大社・熊野那智大社・熊野本宮大社)。
この三社のうち花の窟と産田神社と同じくイザナミノミコトが主祭神として祀られているのが、落差日本一の那智の滝が御神体とされる熊野那智大社。
結局濃霧により那智の滝はほとんど見えなかったのですが、熊野那智大社に立ち寄ると「那智の扇祭り」なる祭りに遭遇することとなりました。
この那智の扇祭りは熊野那智大社に祀られている神々が、年に一度、那智の滝に里帰りするのを迎える神事らしいのですが、この事からすると熊野那智大社の主祭神であるイザナミノミコトも里帰りされていた事になります。
単なる偶然とはいえイザナミノミコトのなくなった場所、そしてお墓にて参拝した翌日に、里帰りされている祭りに遭遇する。
考えようによっては、イザナミノミコトの魂(?)を車に乗せて、三重県熊野市から和歌山県那智まで移動してきたかのように思えなくもなく、「奇妙な偶然というのもあるものだな・・・」くらいに思っていました。
丹生川上神社に祀られる水神様はまさかの・・・
そして熊野三山を巡ったのちに、またまた思いつきで向かったのが奈良県の丹生川上神社の上社・中社・下社の三社。
私にとってご縁ある地である伊坂ダム(伊坂丹生水神)に祀られる水の神様の根源となる神社にてお参りする。
・・・という、ある意味たいした理由もなく実施する事となった丹生川上神社参拝。
同じ丹生川上神社というからには主祭神も三社とも同じなのだろうくらいに思っていたのですが、参拝してみた結果、三社の主祭神は下記のよう別の神様になっていました。
丹生川上神社 下社・・・闇龗神(くらおかみのかみ)
丹生川上神社 中社・・・罔象女神(みつはのめのかみ)
丹生川上神社 上社・・・高龗神(たかおかみのかみ)
この3柱の神様についてふと気になって、インターネットで詳しく調べてみると、思わずハッとさせられました。
まず罔象女神(みつはのめのかみ)は、イザナミノミコトがカグツチノミコトを産んで火傷した際、苦しさのあまり出た尿より生まれたとされる神様(食事中の方には申し訳ありません・・・)。
そして闇龗神と高龗神はイザナミノミコトの夫であるイザナギノミコトが、イザナミノミコトが亡くなるきっかけとなったカグツチノミコトを怒りに任せて斬った時に生まれたとされる神様。
これらの話からすると、丹生川上神社三社に祀られる神様は、熊野の地にてご縁を感じずにいられなかったイザナミノミコトの子供(孫?)にあたる神様と言っても過言ではありません。
そしてイザナミノミコトゆかりの地、そしてイザナミノミコトの子供(孫?)の水神様を巡って最後に訪れた丹生川上神社 上社では、いまだにどういう趣旨だったのか判明していない祭りにまたまた偶然の遭遇。
神社でのお祭りは、その神社に祀られる神様をお招きするためのものと言われています。
これも見方によっては里帰りされたイザナミノミコトを、お招きされた子供たちに会わせるために、熊野の地からはるばる奈良県の山奥での祭りまで一緒に移動してきたとも思えなくもありません・・・
私は神を信じます
先週末のイザナミノミコトと水神様にまつわる出来事の数々。
偶然と言ってしまえば、それまでではあります。
ただ当初予定していた熊野古道ウォークが悪天候により中止になり、尾鷲での打ち合わせの後「せっかくはるばる三重県の南まで来たのだから」と熊野市、そして和歌山県の熊野三山、そして丹生川上神社三社を、単なる思いつきだけでめぐる。
そして熊野や奈良の山々の大自然の中で、奇妙なほど神話の世界につながる出来事が相次いだ当の本人からすれば、どうも運命めいたものを感じずにいられません。
そんな今の私、神の存在を信じてみたくなっています。
そして今回の神話にまつわるある意味神がかり的なつながりの連続には、まだ続きがあります。
そしてそのつながりの続きが、どうやら私にとっての新たなスタートとなっていきそうです。